有閑市民のすすめ
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主人公の所在?、ヒーローは誰?<雑記>
過去のアニメや漫画などの物語は、主人公と脇役がしっかりと分かれる構図であった。しかし、最近のアニメは、主人公の存在が希薄になっている。もしくは、逆に、脇役の役割が強化された(主人公が複数存在)とも考えられる。おそらく、相互の関係性によって、よりストーリーの広がりを見せようとするのではないかと思う。
アメリカ的なストーリー展開では、二分法的な勧善懲悪が意外と好まれていると思う(製作側の意図や視聴者側の受け止め方の詳細は分からないが)。つまり、絶対的なヒーローを中心とした物語である。スーパーマンであれ、スパイダーマンであれ。
日本も過去においては、そうした傾向が強かったと思う。例えば、マジンガーZ、鉄人28号などをはじめとするロボット系アニメや、タイムボカンシリーズ、ガッチャマンなど、もちろん少女アニメも含めて。善は善、悪は悪といった、完全な「善対悪の構図」による設定。現在では、どちらかといえば、テレ朝のスーパー戦隊シリーズものに帰着している。
1980年代の「ガンダム」が萌芽ではないかとは思うが、本格的な転換点は、1990年代に入ってからだと思う。この転換点については、3つの要素が考えられる。つまり、第1には先に述べた構図上の登場人物の配置・配分の変化である。これは、完全なる特徴の固定から開放されたことによる、善の中の悪、悪の中の善としての表現を広げた。そのバランスの配分上、もしくは製作側の視座によって、一方は善に、他方は悪と規定されてきている。第2にはOP・EDの変化と考えられる。過去においては、アニメ(ストーリー)=主人公(他を圧倒する中心的存在)=歌詞への登場=アニメの歌という一連の構成になっていて、テーマソングを聴けば、一体としてとらえられる。しかし、今日では、キャラクターやストーリーのイメージ伝達というイメージソング化の傾向をたどっている。それぞれが、独立的に存在しつつ、一体化している。第3には、アニメ全体を覆う精神世界=人間の思考的欲求としての高次的世界観の展開による広がり。これらによって多くの、そして多元的なコラボレーションが実現され、表現の幅が広がったと考えられる。
また、宗教や社会的制約からの強さが、アニメ製作の背景にも大きく流れている。アメリカの場合、例えばバットマンやサンダーバードなどのように、悪を懲らしめるだけではなく、大富豪・大企業は、メセナやフィランソロピーなどの社会貢献をしなければならないといったようなキリスト教的な奉仕の精神を内在している。日本の場合、必ずしもキリスト教的思考を中心とせず、逆に思想や社会そのものをハイブリッドでとらえ、多元的なタッチで描こうとしていると思う。もちろん、日本の志向の多元構造があったからでもある。つまり、「ルパンⅢ世」は、アメリカでは絶対に生まれてこない。
ここに、“ジャパニメーション”の強みが存在すると感じている。
最後に、こんなに長く、読みづらい文を読んでくださった方にお礼を申し上げます。
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