有閑市民のすすめ
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植物の生育に必要な要素
久しぶりのローゼンメイデン研究です。
今回取り上げるのは“”。
もちろん、現実的な“”ではなく、世界観的な“”。物体そのものというよりも形而上(概念)的な存在としての“
ガーデン(庭園)として捉えた場合、ある種の食物連鎖的概念が存在しなければならないと考えられます。これはアクアリウム(水槽内で食物連鎖(自然環境)を再現するもの)的発想です
その中で、当然存在するものとして、あえて今まで欠落していた(言及されていない)要素が、“”なのでは?
それをどこに求めるのかということです。
そして、これはドールとお父様の領域の問題でもあります。つまり、第一義的にお父様を含めるのか否かということが出てきます。
お父様を含めると考えた場合、その“”なるものはお父様であって、そうでないと考えた場合は、他にその要素を思考しなければならないと考えられます。前者については、言うまでもありませんが、まさに劇中でも表現されていたドールたちを優しく包み込む“光”としての存在です。
そこで、後者について探求していくと、究極的には“アリス=光”ではとも考えられます。すなわち、ドールたちは最終的帰結(アリスの誕生)に至らない限り、日の当たらない庭園としての存在ではないのかと考えられます。全てのドールが光り溢れる庭園に向かっていくこと、すなわちアリスゲームこそが、失われた光を求める行為とも考えられるからです。光合成によって生成されるもの=アリスとも言えるのではないかと思います。

しかしながら、他の要素としての栄養素や水の問題も残っていますが(汗)

コペルニクス的転回とはならない記事でした(汗)

参照:バランスドアクアリウム(All About)

プーリップ ローゼンメイデン 水銀燈 F-568
B000K0O1B4

品切れなのかー!?orz 楽天市場にも、あみあみにもない(泣)
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コメント
この記事へのコメント
お久しぶりです DORAです。


生きるために必要なもの
 世界の構築、運転のために必要なもの ということですが、

私の思うに ローゼンは
 本気で「究極の少女アリス」を作ろうと思って薔薇乙女を作っていたのではなく、
むしろアリスというのは、
 人形が生きるために必要な 仮の理由なのではないでしょうか。

人間は、ただ漫然と生きていることも出来るのですが
 薔薇乙女が生きているためには その生きている目的が必要で、
その生きている理由として設定されているのが つまり「アリス」
 と、私の理解は そのような感じであります。

アリスというのは 漠然とした最終目的地であり 人形の生きる指針であって、

そもそも 人間は理由があって作られたものではないから 
 そのようなものは無くても生きていられるのだが
薔薇乙女にはまず、それが無ければ生きていられない、という
 それが、「アリス」という「目的」なのではないでしょうか
2006/10/30
(月) 22:42:04 | | DORA #z98IOmB2[ 編集]
説明or表現不足(汗)
DORAさん、こんばんは。コメント、ありがとうございます♪

かなり前に書いた記事の内容でもあり、そしてファンの方々が認識されている“庭園”的概念を念頭に、書き直した文章になってしまいました(汗)
端的に示すと、ドールたちは、“庭園シリーズ”という括りになっていて、各パーツとしてこの庭園を形成しているわけです。庭園に灯る明かりとしての水銀燈(灯)、庭園にやってくる金糸雀(鳥)、庭師たち、庭に咲く薔薇や苺(古くは観賞用苺)などの花々。第一義的には、これらをガーデニングの観点から捉えたらどうなるのか?と思いました。
ドールたちにはアリスゲームという影(宿命のプロセス)と光(アリス=完成形という結果)が存在するわけでして・・・。あっ、原因がない!?(汗)・・・ドールの存在そのもの?なのかしら~(汗) とはいえ、この点も含めて複合的に捉えようと考えたのですが、言葉足らずでした(汗)
もとい・・・。そのため、アリスの存在は、その庭園に向けられた一筋の光明として印象付けられている感じがしました(情緒的表現ですいません)。この光への欠乏欲求を満たすために、ある意味悲惨な(=姉妹関係を分断する)アリスゲームをやり続けなければならないという矛盾に満ちた構図がなんとも痛々しいのではありますが・・・。余談として、アリスゲームの結末はないのでは?とも考えました(過去の記事より)。おそらくストーリー展開としても究極型は存在しえないだろうし、また作品全体として見た場合、ほんの些細なもしくは局部的な目的(=空虚な目的)に思えたからです(後述の従来からの疑問点も参照)。CDドラマで雛苺が語る夢の中の世界「みんな一緒にいて楽しく過ごす」のシーンなどからも推察できます。現実にはアリスゲームをしなければならないけれども、本来のあるべき姿は、仲のいい姉妹。現実にも姉妹愛に満ちた世界になって欲しいと願う雛苺の心。やはり、これが本来の歩むべき道なのだと思っています。
ですので、おっしゃられている内容と方向性は同じだと思います。
また、追記的になりますが、「“仮”の目的」の詳細部について検証していくと大変興味深い内容を含んでいますね。トロイメントの中で覚醒された真紅の自我や、お父様自信が「アリスゲームをしなさい」と明言していないこと(ちなみに、トロイメントでお父様が悩んでいるシーンは、薔薇水晶の策略であって、本当はドールに関係する別の件で悩んでいたと、私は捉えました)や、真紅によって語られたドールたちが抱くお父様に対する漠然とした印象、さらに先に示したようにシリーズとして作られ個々のパーソナリティを持って存在していることなどから察するに、他者によって意識的に刷り込まれた(信じ込まされた)もしくは誤解によって生じた目的といった設定された目的なのではないかという従来からの疑問点が私の中にあり、ここから来ているのです。またまた余談ですが、そこに絶妙なタイミングの設定がありますね。1期では、生きる目的のない(失った)存在としてひきこもりのジュンを当ててきたという魅力、そして、トロイメントでは、真紅を中心とした設定された目的と真に求める目的との対峙&踏絵という魅力がありますね。
2006/10/31
(火) 19:17:28 | | 有閑人 #sSHoJftA[ 編集]
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