有閑市民のすすめ
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リアル版デスティニー・プランの限界
安倍さんが、デュランダル議長に見えてしまうのは、私だけだろうか。
むろん、種デスでは遺伝子レベルでの身分制度ではありましたが、リアル版では経済力による人の選別と区分する身分制度となります。余談ですが、前小泉内閣では、税や年金などの争点を、郵政問題でオブラートしていたことは明らかでした。
というのも、警察関係や労働関係の統計データ(多少データの信頼性は別として)などの判断によっても、親の経済力と家庭環境の影響による裏づけがあるからです。
つまり、金のない貧乏人は、家庭環境(文化的水準も含め)としても卑しく、知的レベル(学歴など)も低い、そこから引き起こされる犯罪の可能性も高いということからきているのです。つまり金持ちは、心に余裕があって、品格も高いと認識しているのでしょうね。ある意味、統計データはもっともかもしれません。しかしながら、精神構造のレベルまで言えるかということは、別問題であります。金持ちであっても、もちろん卑しく愚かな人はいます。下層≠下劣者ということです。また、日本の場合は上流と世界的にみれば、小金持ちにしか見えないのです。中流以下と上流を分けるようとしていますが、(超)金持ちと、それ以下に経済力によって選別し身分制度を確立することができるのだろうか? 安陪さんは上ばみだけの「美しい国」を目指しているのではないだろうか? と思ってしまいます。教育制度から精神(内面)的構造へとしようとしていますが、短期的効力の強い経済力の方が多分に利いてくるように感じます。人づくりは国家100年の大計ですから。
国の政治は、その国の国民のレベルと言いますが、低さも影響していますね。そして、国家のための国民になっていくのだろうと。持つ者(資産家と大企業)と公僕(公務員)だけのイエスマン的で政治に都合がいい存在だけが優遇され、サラリーマンを含めた一般庶民はいいようにごまかされるのでしょうね。そして、後者はごまかされていることすら認識していないのでしょうね。マクロ的で、比較的長い期間をかけ、つまり現状がわかりにくいようにカムフラージュしながら、じわりじわりとこの政策構想が進行していくからです。江戸時代の「ゴマの油と・・・」云々や「濡れ雑巾・・・」云々ってな言葉もよぎりますね。

一方において、夕張や自然環境問題のように、「行き着くところまで行ってしまえば、面白いんじゃないの」といった諦めにも似た感情もあります。
超越的に見ると、人間社会としての範疇では、所詮人間社会の出来事に過ぎませんし、ある種、老荘思想の無為自然に似た思いもあります。また、環境問題については、自然の摂理には人間は無力だし、自然環境や地球を救おうなんて、傲慢な人間の側面で、最終的には自分たち人間(子孫)の生存利益に帰結しているのではないかと。物質レベルで見れば、“質量保存の法則”ですからと。そこに人間の視点という感情の問題を入れるのは、おこがましいのではと。

一旦保留になったホワイトカラーエグゼンプション、どうなるんだろう・・・
どうなるにせよ、世代や年齢、所属を問わず、個人レベルでの戦いという流れは、既に始まってしまっていて、変えられないんでしょうね。
「生きることは戦いよ」ですから。
ラピュタのシータの言葉:「国民のいない(不在)国」ってのがよぎります。

参考:「週刊朝日1/5・12 新春合併号」
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